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ふむふむ、木村硝子店のなかまたち。

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第8回 前編
-盛り皿にも銘々皿にもなる皿-

桶田千夏子(Luftデザイナー)× 木村武史(木村硝子店社長)

現在、沖縄と東京で活動を続けるデザイン事務所「Luft」のデザイナーである桶田千夏子さんは、法律家を目指したのちに食堂を営み、デザインの道に飛び込んだという経歴の持ち主。業務用の食器からヒントを得たというプレート類と、木村硝子店との製作で生まれた「しょうゆさし」。その誕生には、幼少期からの物事のユニークな捉え方が生きていました。

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なんの変哲もない、でも
何かが違う器に出合って。

木村 桶田さんの作るものは僕、面白いと思っていて。造形力というのかな、パッと見た瞬間にポリシーを感じるんですよ。デザイナーの真喜志奈美さん(Luft主宰)が、桶田さんと一緒に仕事をしたいと思ったのがわかる気がします。

—今回の食器類のシリーズでは、どれが最初だったのですか?

桶田 器の設計の話でいうと、白い瀬戸焼です。瀬戸もの瀬戸もの、といいますが、有田、備前などとは異なり、瀬戸焼といわれてどんな焼き物かイメージができますか?そんなことを考えていた頃に、「典型プロジェクト」に真喜志さんが参加していて、私も機会を頂いたのがはじまりです。
典型プロジェクト http://tenkeiproject.jp

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—ベースはあったのですか?

桶田 食堂でも使っていたものなのですが、昔の海外のエアラインの機内食用の器だったものです。美濃や瀬戸などで、当時は輸出用に作っていたようです。デッドストックを骨董市で入手しました。埃だらけで50円だったのですが(笑)、洗ったら本当に良い器で。今世の中に多く出回っている業務用とは、佇まいが全く異なるのです。いわゆる白い、なんの変哲もない器なのに何かが違う。そのような存在を今改めて作ることは、世の中の役に立つのではないかと思ったのが、発想の原点です。

—そんなお話があったのですね。

桶田 瀬戸は、白くて上質な粘土の取れる地域です。この器は磁器土にアルミナという金属の粉が入っている、いわゆる強化磁器で、かなり丈夫。今、メラミンの食器がさまざまな施設で使われていますが、同じお料理でも、どのような器で食べるかで味の感じ方も違ってきますので、いろいろなところで使ってもらえたら、というのが淡い夢なのですが。

—今、世の中に多く流通している、いわゆる業務用の器の佇まいに対する違和感は、どこにあるのでしょうね。

桶田 素敵なものも業務用にたくさんありますが、器の中に光と影を感じないといいますか。いろいろな器と合わせた時に違和感を覚えることがあります。私が手に入れた器も、それなりに大量生産はされてきたと思うのですが、そのものの佇まいだけでなく、盛り付けたときにも何かが違う気がしていて。

木村 まあ単純に好みの話なのかもしれないけれど、桶田さんの器シリーズを見ながら話を聞いていると、そうか、という気持ちになりますね。

桶田 設計した器は、現在、3カ所で製作していただいています。強化磁器の瀬戸焼は、普段、和食器を中心に製作されている窯元にお世話になっています。枚数が少なくても協力してくださって。陶器は、瀬戸で修行をされた、石膏型の調整も可能な沖縄の窯元に2種の釉薬の器をお願いしています。住んでいる場所が近いので実に心強いです。そのほかに、飴釉やマットな白釉の仕上げは、益子で活動されている陶芸家の郡司庸久さん、慶子さん御夫妻が主宰する郡司製陶所にお願いしていますね。

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木村 製作の工程は主にろくろなの?

桶田 陶器に関しては機械ろくろで石膏型を回転させ、金ごてをあてて成型しています。型による成型とはいえ、こてのあて加減で、薄くも厚くもなるので、技術が要ります。どの程度の寸止め加減でやっているかということ、テクスチャーと光と影と。するんといってしまいそうだけれど、そうはいかせたくない。ここが難しいんですね。どこで、そのものをあえて作りだして良い理由をさがすかが、重要だと思うんです。

木村 向き合っていくとそれぞれありますよね。

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業務用と作家ものの間をとりもつような、
何にでも寄り添う皿

桶田 気がつけば結局いつも選んでしまうような使いやすいもの、家族が増えたり、状況が変わったら買い足せるようなもの。それくらいの気のおけない存在を目指しています。

—盛り皿にも、取り皿にもなりそうでいいですよね。

桶田 それはずっと思っていることで、気付いていただけたなら嬉しいです。入れ替えが効くというか、銘々皿になったり盛り皿になったり、主従入れ替わるようなもの。料理がイメージできる器が理想です。

—キャンバスような感じですね。料理を盛って完成という感覚ですか?

桶田 そうですね。家でもお店でもそうだと思いますが、お皿には食材が乗るし、電気やテレビも付いている。人数も何人いるかわからないし、いろんな要素がとりまいていますよね。それは、ものをデザインする上でもそうですし、空間の仕事でも意識する部分です。バックグラウンドといますか、いろんな要素が付加されてきますので、気のおけない感じにはなりたいですね。

—こう使って欲しいとかこう住んで欲しいとか、そういうおしつけがましさではなく。できそうでいて難しいことだと思います。

桶田 作家ものの器も好きですし、合羽橋にあるようないわゆる業務用の器も使われる状況によっては好きなんです。でも、作家ものだけでかためたり、作家ものと、いわゆる業務用の器を組み合わせることにはギャップというか違和感があって。その間を取り持つようなものが作れないものかと。例えば、業務用の器ととりあわせても良いもの。作家の方々の自由な創作に寄り添えるようなもの。

—あなた色に染まるという意味ではなく、存在感はきちんとあるんですね。

桶田 何かちょっと気配を消すような。目に入ったとき、気に障らないもの。ずっと存在感を発し続けるものと一緒に暮らし続けるのは難しいような気がします。漆器の横にあっても業務用の横にあってもしっくりくるような…。

—そんな人になりたいですね。いざという時には助けてくれるような(笑)。

桶田 モノとしての見た目も大切ではありますが、食器であれば洗いやすさ、掴みやすさ、拭きやすさといった部分も意識します。素敵で扱いが大変なものもあってよいと思うのですが、日常づかいのものは気のおけないものでないとストレスになってしまう。

—無理なく扱えるかたちのデザインが、結果としての丁寧さに結びつくということですね。動作を加味して状態をデザインしてゆくというのは大変なことだと思いますので、図面を引くのも大変ですね。

桶田 そこは、真喜志さんが、私のスケッチからある程度図面を起こして下さって、試作を重ねて調整をしつつ、作り手の方へ考えを伝えていきました。

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人の役に立ちそうなものは、
法律のほかは料理しか思い浮かばなかった

桶田 子どもの頃から法律家になりたかったんです。父が弁護士をしていて。家ではつまらなそうにしているのに、仕事は本当に楽しそうにしていて。その背中をみて、きっといい仕事なのだろうな、と子ども心に思ったのがきっかけかもしれません。一方で、当時から図書館が好きで、工芸の本や、古い料理書をよく読んでいました。

木村 いつ頃のはなしなの?

桶田 小学校高学年くらいからでしょうか。まだパソコン通信の時代に、柳宗悦を音読みにしたものをメールアドレスにしていたこともあります。ryushuestu@って。学校が終わると図書館に行ったり、外で遊ぶのももちろん好きでしたが、働いている大人や工場や、整理されている木工所や鉄工所、自動車修理工場などをみてワクワクするような子供でした。木工所のおじさんが端材で作った引き出しや、針金を曲げて作ったフック、そういったものも好きでしたね。

—カタチとロジックが一緒になっているんですね。

桶田 今思えば思い込みのような部分は大きかったかもしれませんが、大学を卒業してしばらくは法律の勉強をしていました。事情があって勉強をやめることになり、さてどうしよう、となって思い浮かんだのが料理でした。料理は、3つくらいの頃から母の足元でごまをあたっていたような子どもでしたので、見よう見まねでやっていたのです。実は生まれが築地なんですよ。それまで法律家になりたいと思って生きてきた自分が、ブラッシュアップすれば、人様の役に立てるのではないかと思える手段は、私の中には料理しか思いつかなかった。

—冷静なんですね(笑)。常に、ご自分を客観的に見つめていらっしゃるというか。

桶田 全く道は違うのですが、表層の部分を削ると、アプローチが違うだけで法律でも料理でもやりたいことは同じということがみえてきたんです。弁護士という仕事を考えた場合、問題が起きてから解決を頼まれることもありますし、問題が起きないように予め対策を立てるお手伝いをするという側面もあります。どちらかというと、私は後者に興味があって。料理を仕事にするならば、普段からいつも立ち寄れるような、ほっとできるふつうの家庭料理を出せるお店をやりたいと思ったのです。

木村 桶田さんのふつうはふつうじゃないから(笑)。

桶田 いえいえ。気軽に寄れて、体によくて、頼りにしてもらえるような場所をつくれたら、法律家としてやっていくことはできなかったけれど、貢献できるかなと思ったのです。

—ヒトが健やかに生きていくための法律、と捉えていらっしゃったから、それの「食版」ということなんですね。

桶田 そうですね。ただ、店を始めようと思ったものの、飲食店で働いた経験はなくて。現場をどこか経験しなくては、という思いに。

—お母様も料理はお好きなのですか?

桶田 小学校1年生くらいから家族全員分の料理をしていたそうです。秋田の、お酒も食品もなんでも売っているような商店に生まれ、学校に行く前に市場へ仕入れに行って、帰ってきたら自転車で配達に行ったり集金に行ったりして、忙しい両親に代わってご飯を作っていたそうです。だから、大勢の分を作るのが当たり前で。私が子どもの頃も、近所の人の分も作って、鍋で持って行ったら素材を頂いてきて、また作って持って行く、みたいな人でした。よく私もお鍋を運んで、ご近所へ伺いました。

木村 それはまたすごいね。

桶田 改めて考えるとそうですね。とにかくいっぱいつくる。そして手裏剣のようにあげる。道端やお店、いろいろなところで親しくなった人もよくうちに来ていました。近所の八百屋さんで働いている出稼ぎの外国人の方がうちでご飯を作ってくれたり、ホームレスの人を連れてきてご飯を差し上げたり、難民の方がいたり、入れ替わり立ち替わり。

—桶田さんの理想とする食堂のようですね(笑)。

桶田 母は途中から、自ら清掃業の会社をやるようになり、今も仕事をしているのですが、おかげで本当にいろんな人と話せて、勉強になったと感じています。学生時代、忙しいときは母の仕事を手伝って、現場に泊りがけで行ったこともあります。人によっては掃除の仕事なんて、と思う方もいらっしゃるかもしれません。清掃業の現場では、様々な状況がありますし。ただ、それを引き受けてきれいにするということは、よいことですしね。ある意味社会学というか。

—心理的にも関係していますよね。

桶田 そうですね。例えば、呼吸を例にとってみると、いっぱいいっぱいのとき、人は息を吸おうとばかりしてしまいますが、吐くことこそが大切だと思うのです。吐きさえすれば今度は勝手に吸うわけで。料理も、わあ、おいしそう!と息をのむようなおいしさもありますが、逆もある。息を吸おうとばかりしていたらぐったりしてしまいますので、息を吐く、つまりリラックスのお手伝いができるような料理が作れればと考えていました。

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私の好きなのは
水分を感じるおいしさ

桶田 京都で以前から行ってみたかった老舗の和菓子屋さんが桂離宮の方にあって、参考のためにそこを訪ねました。おまんじゅうにぜんざい、かき氷、そういった日常のお菓子を丁寧につくっていらっしゃるところで。例えば、小豆を炊くのは今もクヌギの薪で行っているのですが、「昔の製法を守ってこの道一筋に・・・」といった雰囲気ではなくて、「クヌギの薪の炎が消えた後の熾火が豆をおいしく煮るのに必要だから」という、ある意味とても合理的な、必要だから昔のままやっているというスタンスで。10年以上通っていますが、いつ行っても顔なじみの方もいますし、ご近所の娘さんや奥さんが働いていて、老舗だけれど老舗の押し出しのようなものも感じなくて。とてもさりげないのです。本質的なことに興味のある人が行っても満足するでしょうし、近所にあるから行っている、みたいな人も普通に来ていて、そういった門戸の広さ。

—行ってみたくなりますね。

桶田 ご次男がなさっている蕎麦懐石のお店が裏手にあって、何回か通って魅了されてしまい、履歴書を持って行きました。おいしいにもいろいろありますが、私の好きなのは、「水分を感じる」おいしさです。青菜のおひたしなら、噛んだ時に素材の水分がはじけるように感じられるような。そういうお料理に、そこで出会ったのです。

木村 桶田さんは、自分の気持ちを俯瞰してみるというか、自分の気持ちを自分に問いかけるみたいな部分が自然にできているというか。頭で考えすぎずにすぐ動くのね。それでどうなったの?

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桶田 ご店主は、私とそう年齢が違う方でもなかったのですが、熱心に話をきいてくださって。当時、私の中では「豆料理の多い家庭料理の店」をやりたいという気持ちが固まっていました。ただ、飲食店で働く経験をしてみたかった。でも、店主の方は、そこまでやりたいことが見えているのであれば、うちに来ることだけが合理的な道だとは思えないと。たとえば、店で働いて過ごす2年と、いろんなところで見聞を広める2年…。その後で、どうしてもうちに来ないとできないことがあるなら、その時に来てもらって構わないし、また京都に来る機会があったら、厨房に入って構わないと言ってくださったんです。

—素晴らしい方ですね。

桶田 それで、2年くらいの間、月の3週間は丸の内の物販のお店で働き、最後の1週間は京都に行って、店の下働きをする暮らしを送りました。東京のお店は11時から。私は、子どもの頃から夜は9時に寝て、3時4時に起きるという生体リズムで生きてきたので、朝はゆとりがありました。そこで、当時実家のあった場所から自転車をこぎ、毎朝築地に寄ってから丸の内に通っていました。そうこうしているうち、築地でよく豆を買っていた豆問屋の方が、「うちで働けばいいじゃないの」と声をかけてくださって。豆問屋に移ってからも、京都通いは続けさせていただけたという・・・。

木村 本当に面白いねえ。

桶田 晴れの日は自転車、雨の日はバイクで。朝はまかないを作っていましたので、後部座席でお米を浸水させながら。多い時は一回100キロくらいの豆を自転車に詰んで配達していましたね。築地には、すぐ打ち解けてくださる方、挨拶しても目も見ない方、いろんな方がいらっしゃいました。それでもしつこく挨拶していると、ふっと返ってきたり。とても楽しかったです。

木村 そこから桶田さんの山食堂へと続くんだね。

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よいタイミングで手放す生き方。
それで人に恵まれた

桶田 そうですね。食堂を始めて2年と少し経った頃、体調を崩しまして。結局、ご縁あって20年くらい飲食をされている方々に、店をお譲りすることになりました。そして、もともと食堂のお客さんでもあった、真喜志さんの仕事を手伝わせていただくことになったのです。

—それはいろいろご苦労なさったでしょう。でも、いいタイミングでモノを手放して、巡りが良くなる感じがあります。

桶田 ぽんぽんものを渡していくことで、人に恵まれてきたところはあるかも知れません。周りの皆さんのおかげで今があるので、少しずつでも恩返しをしたいと思っています。

木村 いやいや、桶田さんの人柄のおかげで周りに人がたくさん集まってくるというか。そうでしょうまさに。

後編に続く…

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