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ふむふむ、木村硝子店のなかまたち。#03《後編》

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第3回 後編
前編はこちらから

千葉美枝子(スタイリスト) × 木村武史(木村硝子店社長) × 三枝静代(木村硝子店デザイナー)

子供の頃に繰り返し見た、
小さな記憶の断片を今も大切に

―さて、後半は千葉さんのルーツに迫りたいと思います。まずは、子供の頃のお話など、伺えますか?

千葉 母方の実家が、麻布で市場をやっていたんです、戦後。父方は護国寺に近い目白。
私が育ったのは下町の雑司が谷で、鬼子母神の近く。普通のサラリーマン家庭でした。
昔は本当に下町で、サラリーマンのおうちの子のほうが少なかったですね。うちはもう限りなく目白に近いほうで。雑司が谷墓地は文人のお墓も多くて。
小泉八雲や夏目漱石や……。そういうところで育ちました。お祭りが毎年あって、そのこととか本当によく覚えてるんです。

木村 え、市場をやっていたの?それは興味あるな。

千葉 そう。肉屋に乾物屋に、いろいろ入っている市場でした。仙台坂の途中の四の橋寄りのところなんですけど。すっごく大きい木の冷蔵庫があって、仕出しもやっていたの。働いている人もいっぱいいて、おばあちゃんはいつも帳場に絶えず座っていて。そういう感じの家でした。おいしいものもいっぱいあった。

三枝 そういうところに、何か千葉さんのルーツがあるのかな?

千葉 そうねえ、母親はすごく食いしん坊なので、私も食いしん坊だなとは思うけれど。
小さい頃の記憶の断片断片が、今もすごく好きなの。食べ物の状況のある一部だったり、見世物小屋のある一部だったり。

木村 見世物小屋ってどういうの?

千葉 小さい頃、お祭りの一ヶ月くらい前になると、鬼子母神の近くにあるお屋敷の敷地内にテントを張って見世物小屋を建てて滞在する人たちがいたんです。丸太で骨組みを作って、釘を一切使わず藁で縛って、で、その丸太の建物のところにこわーい絵のついた幕をこう、ずーっと張っていくわけですよ。「狼女」の見世物小屋(笑)。そういう断片ひとつひとつをじーっと見るのが好きだった。

木村 へえ、俺はそういうのぜんぜん知らないなあ。

千葉 それで、狼女の舞台は地べたなんですよ。すり鉢状にこう、小屋の全面に板が敷いてあって、お客さんは立っているんですけど、怖いからみんな押し分けながらみるんですよ。滑らないようにすり鉢状の部分にも藁が敷いてあって。

―相当鮮明な記憶なんですね。

千葉 そうね。私はいろんなことを絵で覚えているんだと思うの。車も、ここ曲がって次曲がって、というより、あそこのあれのところを曲がるっていう風に覚えていて。信号の名前は覚えてないのに、脇にあるマークは覚えているとか。何屋さんの角の信号、とか。

木村 ああ、でもそれは俺とも似ているかな。場所の名前は分からなくても、行くと雰囲気で、ここで曲がるっていうのがわかるかも。

―旅行にいかれても、素敵なものが出てくると全部覚えていらっしゃる?

千葉 そう。旅館に行っても、なんてきれいな時計があるんだろうって思って、みたらカルティエだったりするじゃない?気になって今度はカルティエに行ってもう一回見てしまう。時計の隣には、漆の飾りがあったなとか、細部もくまなく覚えてる。海外に行っても、テーブル上の組み合わせとか、どんな器にどんなクロスが組み合わさっていたかとか。小さいコマみたいにいくつもこまかーく記憶が続いているの(笑)。

三枝 見世物小屋の時代からカルティエの時代まで、何十年も開きがあるっていうのに!

千葉 そう、でもおんなじなのよね。ずーっと(笑)。

木村 好奇心だよね。ずっとモノがすきなんだ。

千葉 昔、縁日で「海ほおずき」ってあったの覚えていますか?小さな小さな手つきのバスケットに入って、きれーいに並べられていて。子供の頃行っていたお店は、その並べ方がすっごくきれいだったんです。海みたいで、葉っぱが波みたいで。そういうのが大好きで、ずーっと見ていたいと思っていた。

木村 「海ほおずき」は知っているけれど、そんな風には覚えていないなあ。言われてみると、昔の美意識ってすごいよね。気がつかないうちにきれいなのが当たり前だものね。日本人が不幸なのはさ、もともと比較する対象がないわけじゃない、島国だから。もとの文化の値打ちがわからないもんだから、外から入ってきたものをどんどん受け入れたわけでしょう。外から見ればすごい美意識なはずなのに、自分たちの日常にアートがみつかっていない、みたいな。ヨーロッパの場合なんかはいろんなものが入り混じっていて、土地もつながっているから他からの刺激を日常的に感じていて、自分たちのオリジナリティに関しても的確に感じ取っている部分があったのではないかと思っているんだよね。

千葉 確かにそうですね。少し話はずれますが、私、魚屋さんも大好きで、活きがよく見えるよう、熊笹やはらんを敷いた上にのっている様子や、経木の舟形のお皿にお刺身がきれいに並んでいる様子を、あっちの店のおばさんのほうがいいとか、こっちの店のおばさんのほうがきれいとか思いながら、細かく細かく見ていました。そういうものだって、日常から生まれた日本の素晴らしさですが、今はもうないですもんね。

木村 そう。なくなってしまったものって、いっぱいあるんだよね。

―子供の頃にきれいだな、と感じていたとしても、千葉さんのようにずっと記憶に残っている人はそうそういないのではないでしょうか?

木村 そうね。僕だって今思うときれいだったな、とは思うけど、そのときは当たり前に見ていて、特には感じなかったよね。

千葉 お豆腐屋さんの、真鍮の大きな包丁とかも、すごいきれいで好きだった。

木村 ああ、それだってさ、俺なんか、豆腐屋の親父が水の中で豆腐スパーって切ってるなというくらいにしか思わなかったもの(笑)。

千葉 行商のおばさんのことも好きだった。四角い竹のかごに3段分くらい詰めてね、全部詰めてね、うちの縁側で全部並べるんです。露地もののトマトとかきゅうりとか。それでね、そのかごと野菜の組み合わせが本当にきれいなの。で、かごを重ねて、藍の布で風呂敷のようにつつんで、それで背負子で来るの。

木村 うちもきてたよ。確か柏からだったな。輪ゴム売りとか、いろいろいたよね。

千葉 うちのおばさんは茨城から。電車で来るんですよ、月に何回か。季節によって種類は決まっていて、夏場はとうもろこしと、なすと、トマトくらいしかないんだけど。終わって、担ぎ上げるときがすごかった。グイーって、格好いいのよ。みんな農家の女の人でね、道の駅を自分でやっているような感じで。

―なるほど、格好いいんですね!

格好悪いのは一番イヤ。
荷物はスッと持とう

千葉 私ね、何がいやって、格好悪いのが一番嫌なんですよ。スタイリストって荷物が多い仕事じゃないですか。でも、荷物が重そうに感じるような歩き方や荷物の持ち方をするのはいやなんです。格好悪いのはいや。「スッと重そうに見えないように歩いて」って、
アシスタントさんに言ったこともあります(笑)。仕事でサッと入ってきたときに「ああ重たい、」っていうのはダメダメ。スッと持とうねって(笑)。

三枝 いまの話すごいなやっぱり。表にみせないって哲学だね。

―そう決めて生きるとそう生きないといけなくなるし、そうとしか生きられなくなりますね。どなたかが千葉さんに?

千葉 ううん。ただ、みんなすっごい重たそうにもっているから(笑)・・・。

木村 今、言ってたようなことってさ、なんかさ、京都の芸子さんとかさ、人の気持ちをしぐさでつかまえている人たちって言うのかな、ああいうことに通じる気がしますよ。

三枝 千葉さんのそういう感覚ってさ、どこから出てきたんだろうねえ(笑)。

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格好悪いのはダメ、と
思わせてくれたのは叔母だった

千葉 もう亡くなっているのですが、母の一番上の姉が俳優座にいたんです。立ち上げメンバーのひとりで、小学校のときには叔母たちが、「戦争反対」っていうプラカードを下げて出勤しているのが朝日ジャーナルに出ていたこともあって。「もう!おばさん!!」って思っていました。

木村 ねえ、それって戦後?

千葉 戦後ですよ!!ベトナム戦争です!!

木村 まあでも、戦争はみんな反対だけどなあ。

千葉 中学校の美術の先生にも、「キミのおばさん朝日ジャーナルに載ってるよ」って言われたことがあって。今思えば、その先生も日教組とか、そういう左寄りの先生だったと思うんですけどね。その叔母はかなりエキセントリックな人で、あれ、誰か池袋の前で知っている人がいる!と思ったら、共産党の選挙の応援をしていたり。

千葉 昔は俳優座の海の家があって、夏場はよく、弟や従兄弟と一緒にそこに預けられていました。伊豆の子浦っていうところ。佐藤オリエさんや山本圭さんもいらした頃で、「働かざるもの食うべからず」って、台所に大きく貼ってあるんです。「男子厨房に入れ」とかね(笑)。

―海の家をお手伝いされていたんですか?

千葉 そう、子供も働かなくちゃいけなくて。その頃小学生だったけれど、わたしは子供心に貼紙をみながら、「そうだよなァ」って思っていた。女の人も男の人も「平等平等…」って。そういうのはきっと、影響大きかったのかも知れない。

木村 面白いねえ。でもさ、身内に過激な人がいるといろんなこと考えさせられるよね。

千葉 そうね、確かにね。

―さっき、「格好良くなければいけない」という信念の話が出てきましたが、その叔母さんのことは?

千葉 あ、格好いいって思ってました。

木村 なるほど、そういうことなんだね、要は。

千葉 それは別にぜんぜん格好悪いって思っていませんでした。戦争は反対だったし、ベトナム戦争って確か中学の終わりから高校の頃だったのですが、高校生もみんな学生運動していたんですよ。

―叔母様のことがお好きだったんですね。

千葉 そう、不思議と嫌ではなかったです。すごくオーバーで恥ずかしかったけど(笑)。

―やるからには、そこのフィールドでの格好良さを追求するみたいな、そういうことですね。

三枝 それは、今の千葉さんにつながってきますね。いやあ、ちゃんとしないとなあ。

木村 なんだか今日は、長く千葉さんを知っていたはずなのに全然知らなかったんだって感じました。すごく新鮮だったよ。

千葉 話は尽きないですね。でも、いろいろ思い返して、自分自身に気づかされることもありました。恥ずかしいけれど(笑)。

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●インタビューを終えて
今回は、千葉さんがご用意くださった、素敵なランチをいただきながら、という夢のようなシチュエーションでスタート。木村硝子店社長・木村武史さん、デザイナーの三枝静代さん、大町彩さんの立会いのもとに行われました。
ピンクの色みがはっとするほど美しく、まろやかな酸味が口の中にひろがる、酢漬けビーツの冷製スープ、夏野菜のマリネードサラダ、羊と牛2種類のお肉と夏野菜のスパイシーな煮込みをクスクスに合わせたメイン。全員が舌鼓を打ちながら、「ワインが欲しいね、でも仕事しなくちゃ!」と、やっとのことで本題に突入できたのでした。
多くを語らない方、とそのキャラクターについて伺っていた千葉さんですが、お話の面白いこと! ナチュラルで上品なスタイリングのなかに潜む、筋の通った感覚が、ご自身のルーツに隠されていることを知りました。本当に素敵な方でした。
(聞き手・構成・文/吉田佳代)

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【脚注】
*1 
元サザビー(現在の株式会社サザビーリーグ)ディレクター。アフタヌーンティーブランドの立ち上げなどに参加。ライフスタイル界の草分け的存在だった。
*2
料理家。長くパリに暮らし、70年代にコルドンブルーで学ぶ。フランス家庭料理界の草分け的存在。現在は東京とフランスを拠点に活動を続ける。
*3
2008年に開催された、木村硝子店×虎屋のコラボレーション企画展示。木村硝子店が、木勝シリーズの手法で板皿を製作し、夏の和菓子とともに展示された。六本木のミッドタウンにて、約一ヶ月間開催。

【プロフィール】
千葉美枝子(ちば・みえこ)
食を中心としたライフスタイルを扱うスタイリスト。
雑誌、書籍、広告、企業のコーディネートまで、幅広く活躍。
シンプルなスタイリングにファンも多く、手がけた書籍は数えきれない。

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